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2011年1月

小柳 瑠璃色のひとみ Ⅰ

先日の記事を自分でも読んでみて、もう少し小柳さんのことをよく知りたいなぁと思いました。

大澄賢也さんへの1億円の慰謝料の報道が大きく印象にありますけどね。前の記事に?と思った方もいると思いますがちょっと読んでみてくださいね。

ルミ子さんのお母さんは秋田生まれでした。残念ながら2006年12月12日に86歳でお亡くなりになられましたが、お名前を「愛子」さんとおっしゃいます。この時代に、とてもオシャレなお名前だなぁと思いますね。
ルミ子さんの仕事への情熱やがんばり屋さん気質は、この秋田生まれのお母さん譲りではないかと思います。

愛子さんの生まれた1920年代は、1918年に第一次世界大戦が終わった頃で、荒廃したヨーロッパに変わって日本の工業製品輸出が伸びて戦争特需による好景気も、ヨーロッパ経済が急速に回復すると過ぎ去り、景気に陰りが見えてきた日本経済が不安定な頃でした。

また、1923(大正12年)9月1日に、関東大震災が起き、日本が大変な時代であったようです。愛子さんは尋常小学校を卒業すると、岐阜県稲葉郡の織物工場に働きでられたそうです。

愛子さんはこの工場で、一人の男性を好きになりました。

憧れから始まり、その男性の側を通るだけでほほが赤く染まる、そんな淡い初恋で、思いを伝えることもままならない、何を話したらいいわからないような可愛い恋でした。

時代は1933年頃です。混迷が続く日本で、その男性が戦争で出征することになりました。

しばらくすると、その青年が出征する際に、写真を送ってほしいと手紙が来たのだそうです。
この時代の写真代はきっと高価だったでしょう。

愛子さんはわずかに蓄えたお金で、写真を撮り、その青年に送りました。「あなたの写真を戦友に見せました。みんなとてもべっぴんさんだと言ってくれたので、私はとても自慢でした。」と手紙が来ました。
その後、風の頼りで、その青年が戦死されたことを愛子さんは聞いたそうです。

ルミ子さんのお母さんは、戦地に向かう青年の願いを叶えてあげました。遠い戦地で私を励みにお国のために、戦ってくれる人を思って。。。自分のわずかな蓄えから写真を送ってあげたのですね。

青年は自分が生きて帰る望みを心に持ちたいために、愛子さんに手紙を書いてお願いしたように感じます。

愛子さんには、写真を送ってほしいと言っただけかもしれないですけど、青年の心の中では愛子さんは「恋人」だったのかもしれませんね。そして、愛子さんも口に出さなくてもそれはわかっていたのかもしれません。帰って来れるかわからない時代、言えば相手を悲しませることになるかもしれないと、お互いが口に出すことなく、想いと想いを交わしただけの恋愛をされたのかなぁと思います。

もしかしたら、この青年は国のために命を捧げて亡くなる際にお母さんの次に思いを馳せたのは、愛子さんなのかもしれません。一目、愛子さんに会って写真を送ってくれてありがとうと、言葉を交わしたかったように思えます。

お名前は存知ませんが、ご冥福をお祈りします。

つづく・・・

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お花

Princess Sayako(Meirandival)
ミッテラン大統領夫人が来日した折に紀宮清子内親王に捧げられた薔薇です。
 

花博記念公園鶴見緑地 H8・1・5 18:00

作出年:1980
作出国:フランス
系統:HT

色合い:サーモンピンク色の花。 花径 大輪
香り :フルーティーな強香

撮影:神代植物園 09.10.11

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お久しぶりね/小柳ルミ子

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はぁ・・・

何故か、今日は予防接種のことを思い出した。

いやだったなぁー。

学校で集団でする注射で、

ぴらぴらの紙、

わら半紙では出ない音のする紙の問診票・・・

「あーあー熱が出たら注射しなくていいんだよねー」

と、思いながら母の元へ持って行ったよ。

熱が出るのと注射、どっちがラクか考えると

普通は予防接種を選ぶのだけど・・・

やっぱり、注射

嫌だなぁ。。。

でも、人に移っちゃいけないからねー

アクセルくん。

あっ。

犬だった。

嫌だな―注射行くの。

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パソコンの調子が・・・

ここ最近、すこぶる、悪くって

よく止まります。

動く時もあるのだけど、

また、動きが鈍くなってます。

今日は、もう動かなかったりして・・・

18時までおやすみタイム?

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今日の気になるニュース

幻のウサギ」とよばれるスマトラウサギを絶滅から救うため、世界自然保護基金(WWF)ジャパンは今年から、このウサギが生息するインドネシア・スマトラ島で植林活動を始める。

 植林するのは、ブキ・バリサン・セラタン国立公園の森。スマトラウサギはこの島のみに生息し、国際自然保護連合が絶滅危惧種に指定している。しかし、この公園では2004年時点で総面積(3568平方キロ・メートル)の28%が不法に農地転用され、ウサギの生息地が消滅しつつある。

 計画では、不法に開発された40ヘクタールに、在来の樹木3種類を計約1万6000本植える。住民と協力して11月から始め、植林後も5年にわたって下草刈りなどの手入れをする。

 スマトラウサギは茶褐色の体に黒いしま模様が特徴。体長は約40センチ・メートル。

                                          読売新聞より

野ウサギは昔から食料などの目的で狩猟の対象とされてきました。 特に欧米では、ウサギのハンティングは文化的なスポーツとして扱われ、 日本でも、古来より山間部では狩猟対象となり、食用とされてきました。

西郷隆盛像で有名な東京都台東区の上野公園にある高村光雲作の銅像は、お気に入りの薩摩犬の雌犬「ツン」をつれて趣味の兎狩りをしているときの姿だそうです。

古来から欧州各地で食用として利用され、特にフランス料理では、ジビエとして伝統的にラパンリエーブルなどの名称で食肉として利用され、現代では牛、豚、羊など大型獣の食肉が広く一般に普及するにつれ、伝統的な料理に使われる程度になってきています。

日本において、ウサギを狩猟し食用としてきた伝統をもつ地方の旅館では、ウサギ料理を出すところもあり、秋田県の一部地域では日の丸の名称で呼ばれています。

しかし、ユダヤ教においてウサギは食べてはならない動物に指定されており、西方キリスト教世界で行われる、キリストの復活を祝う復活祭(イースター)はこの流れを汲み、生命と復活の象徴を卵とウサギに求めて、イースターエッグやイースター・バニーがうまれたとされています。

一方、仏教世界においては献身のシンボルとされています。これは仏教説話集ジャータカの中に、ウサギが身を火に投じて仙人に布施する物語(ササジャータカ)があるためだそうです。

ペットとしてのウサギの歴史は明治から非常に盛んになり、1872年に在来と外国の混血から生まれた更紗模様のある種雄は200 - 600円で売られていたそうです。

子ウサギはコロと呼ばれ10円以上し(『風俗画報』310号 明治38年2月10日 在三河安城、久永章武による)。このため1873年に東京府(現・東京都)布達、兎取締ノ儀(1876年改正、兎取締規則)で頭数の届出、1羽1円の税金、無届1羽につき月2円の納入とされ、1879年に廃止されるまで続きました。

日本の白い体毛・赤い目という特徴を持つカイウサギは「日本白色種」という品種で、この時代にニュージーランドホワイト種から作られたそうです。

近年では「ジャパニーズホワイト」とも呼ばれています。

最近は公園に捨てうさぎが現れることがあるそうです。先日、テレビでやっていました。

スマトラウサギも捨てられてるウサギも同じ命のウサギなんですけれどね。

何か、言葉にならないです。ペットとして迎える時は、よく考えてから飼いましょう。

おやすみなさい。

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雨の慕情

あけましておめでとうございます

6日ですいません。。。

先日の歌番組で観ました~。懐かしいです。この歌、お父さん好きでした♪

八代さんはいつまでもお若いですね。 絵画の才能もすごいです。

関係ないですけど、山口百恵さんは本当に復活しないでしょうか~?

歌番組を観てると「もったいないな~」と思ってしまいますね。

山口智子さんも最近、見ないですね。山口美江さんもだけど~。

よく見るのは山口もえさん、あんなママだと毎日おもしろそうです。

本年もよろしくおねがいします。ぴょん。

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