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ベートーベン・・・つづき

ベートーベンの祖父は宮廷歌手の他に副業として酒屋も営んでいました。しかし、これが家族にとって暗い影を落とすことになります。

最初に祖母がアルコール中毒になり、修道院に隔離され、そして父のヨハンも宮廷に仕える歌手でありながら酒におぼれた生活をすることになりました。

3人の息子の中から才能を見出されて4歳から父にピアノを教えられ6歳でケルンで演奏会を開くのですが、当時のモ―ッアルトのように少年音楽家として売り出したかった為に、実際は8歳だったところ年齢を2歳もサバを読んでいました。父は、モーツァルトのように宮廷や貴族にベートーベンを引き合わせてパトロンになってもらおうとしていました。「息子を働かせなければ負けだと思っている」そんな父親の思いを子供ながらに必死に堪えてレッスンを受けた日々だったでしょう。幼い頃から音楽の喜びや楽しみを知っていたベートーベンであっても、子供ですから遊びたい年頃です。父ヨハンから毎日、レッスンを強要される「家族を扶養できるだけの音楽家」としての大成は、重圧だったことだと思います。

母、マリア・マグダレーナは17歳で結婚した相手とほどなく死別し未亡人となり21歳のとき再婚したのがベートーヴェンの父となる27歳のヨハンでした。ヨハンとの間に5男2女を産み、うち4人を亡くし、体が弱いながらも貧しさに耐え、わがままな夫や厳格な舅、修道院に収容されていた姑にもよく尽くしていたそうです。

マリアは、身分も教養もある女性ではありませんでしたが、物静かなで、家庭が不幸だった分、深い愛情を3人の息子たちに注ぐ優しさにあふれた母親で、ベートーヴェンにとっては永遠の女性ともいうべき存在でした。

母マリアはベートーベンが大成しなくてもいいから自分の行きたい道を進むことを選ばせるための愛情あふれた教育を行ってました。

3人の息子をとても可愛がり、面倒見のよい母親だったそうです。演奏旅行に船で出かけたおり、寒かったのでスカートで彼の足をくるんで暖めた、というエピソードが残っています。

父、ヨハンと母との相反する教育姿勢がベートーベンの人格に多大な影響を与えていったのは間違いないようです。

ベートーベンは、「野獣」と呼ばれるほどの癇癪(かんしゃく)を持った激情家であったらしく、何かあれば手近なものを投げる習性があり、それは、手のつけられないもので、人間関係でも苦労していたようです。師匠のハイドンとも喧嘩別れしたという話があるほど、その癇癪は強く、ベートーベンからレッスンを受けていた弟子には、楽譜を破かれたり肩に噛み付かれたりした者もいるそうです。でも、耳が不自由になると、多少はそうなっても仕方がないのかもしれないです。

また、手を洗うことに執着していたり、コーヒー好きのベートーベンは豆をきちんと60粒数えて煎れていると言う、几帳面な面もありました。この時代の音楽家はただの野獣では務まらないほどの社交性や知識を要求される職業だったそうです。

ベートーベンは、自分の置かれた家庭環境から「家族を不幸にしないためにも結婚には慎重になるべき」という考えを抱いていてたのかもしれません。その傾向はベートーベンの恋愛にも表れます。少年のころから、自然と品位の高い女性に惹かれる傾向がありました。「伯爵夫人」や「男爵夫人」などの称号がついている相手が多かったのです。すぐ手に入るような女性には興味がなく、婚約者がいる、夫がいるなど、結ばれる望みの薄い恋ほど熱くなるようなところがありました。ですから大概の恋は破綻することが多かったのですが、意外とプレイボーイだったベートーベンは、多くの女性とのロマンスを経験していて、婚約もしますが解消し、生涯、結婚することはありませんでした。

28歳の時に耳が聞こえにくくなりますが、恋人であるジュリエッタがいたこともあり、音楽を続けていました。しかし、ジュリエッタの父はベートーベンが貴族ではなかったので結婚を許さず、ジュリエッタは他の男性と結婚してしまい、そして、両耳が全く聞こえなくなり、ベートーベンは人生で最大の試練を味わうことになります。

ジュリエッタとの恋に破れた時は、特に耳のことも有り、生涯これほどにないくらい、辛くて自殺も考えたんでしょうね。

音楽家でありながら、耳が聞こえないという致命的な現実と向き合うことが、どんなにつらかったか。人との会話はもちろん、音楽家を職業としていたにもかかわらず、自分が作った曲がどんな音楽となって聞こえるのか、それを聞くことも確かめることもできない。

音の聞こえない孤独な自分とも、いつも対面し、今まで、音楽一筋で生きて来て、他に自分がしたいこともない。そして、愛していた恋人との別れ。ベートーベンにとって絶望的と言ってもおかしくない。

しかも、結婚の反対の理由が貴族じゃないから。ベートーベンの性格的な様子からすると、コンプレックスも強かったように思ったり。貴族じゃないことの屈辱感や疎外感、聴力がないことからより、コンプレックスを更に持つようになったかも…時代背景があって、わかっていてもやっぱり感情はそう簡単に納得できないだろうし、若いから悩んだだろうなぁ。
特に音楽家って、心のヒダが繊細そうでもあり、受け止め方も心に深く深く、響いたのでしょう。ベートーベンがこの時に残した有名な遺書で「ハイリゲンシュタットの遺書」がありますが、その遺書を書いたことにより、精神的にこの自分に起きた現実と折り合いを付けています。

遺書を書いて自分の思いをぶちまけて、そして自分がこれからどうして行けばよいか、どう生きていきたいのか思い直したようです。

幼い頃から、父の厳しいレッスンを受けて、時には強要され嫌々ながらしていたピアノも実は一番好きなことで、音楽を愛して、音楽のために生きて行こうと心に決めたのじゃないかと思ったり。。。
耳が聞こえないのに、作る音楽って、自分が昔、聞いていた記憶と音感を頼りに、頭の中で一つ一つの音を何度も思い出しながら、楽譜に書き込み作り上げて行く、ベートーベンの頭の中と想像のメロディと現実のメロディが奏でる、何かがあったのじゃないかと思います。

きっと聴力を失ったベートーベンは、人や世相が必要とする音楽を掴み取る部分が長けて行ったんじゃないでしょうか。他の人には聞こえない音を何処かで受け取って、創作していたのかも…。自分が聞こえないのに、曲を作り続けたのは人に聞いてほしいから、人が聞いている姿を見て、喜んだり、泣いたり、感動したり、を見てどのような曲なのか肌で感じ知ることができて、耳の聞こえない孤独な自分が解放される時でもあったのじゃないかと…。
自分の記憶の中の音階でイメージして曲を作るってスゴイ。あんなメロディよく作れるよなぁ。天才だと思います。

気持ちに整理をつけても一難去って、また一難。ベートーベンは次々にたくさんの曲を発表しますが、耳が聞こえないために、大変な苦労の連続でした。曲が演奏されることになり、指揮をすると、耳が聞こえないためにオーケストラの人達とうまく行かず「そうじゃない!」と怒鳴り、オーケストラの人もやる気をなくしてしまい、ついに練習をほとんどしないで本番の日を迎え、うまくいかず、お客さんが騒ぎ出したりしました。

また、弟が亡くなり、その子供カールを実子として引き取ったのですが、ある時、ベートーベンがカールにピアノの練習をするようにと叱ったところ,カールは家を飛び出し,自殺未遂をしようとしました。その子の母親と裁判を起こしたり、ベートーベンは心の安まる時がなかったということです。カールを自分と同じように音楽家に育てるために、費用もたくさん使い、演奏会の失敗や裁判、生活も大変になっていきました。

次々にその身に降りかかる苦難。それを乗り越えて、ベートーベンは希望と喜びにあふれた曲を創り出します。「交響曲第5番 運命」「交響曲第6番 田園」「交響曲第9番」といった大作、「エリーゼのために」などの名作を作り続けたというのは、ケタ外れの創作意欲であり才能でした。

ベートーベンは癇癪もちとありますがそれと同じくらい、情熱のある心優しい人物でした。ベートーベンの創作意欲の元は、数多くして来た恋愛のお陰でもありそうです。「月光」も「エリーゼのために」も恋人に捧げるために書かれた曲でした。また、愛を語るためにピアノを恋人の前で即興で弾いたこともあったそうです。

あるとき、男爵夫人が末の子どもを亡くして悲嘆にくれていたとき、ベートーべンは夫人を自宅に招待し、「さあ、いっしょに音楽で話をしましょう。」とピアノの前に腰掛け一時間あまりもピアノを弾き続けたということです。ベートーべンの即興演奏は聴く者の心を奪ってしまうほど素晴らしかったそうですが、愛を込めた即興演奏は、特に情熱的でロマンティックなものだったようです。

年末に「第九」がよく歌われますが、ベートーべンは病の中、何としても第10番目の交響曲を完成させたかったのですが、かなわず56歳でこの世を去りました。

ベートーベンが生きた時代は、戦争がたくさんあった時代でした。「第九」が日本で初めて演じられたのは、徳島県の鳴門・板東ドイツ人俘虜(ふりょ)収容所でした。また、終戦後、今や帰らぬ人となった学友のために、鎮魂歌として彼らに捧げられたこともあり、「第九」は、日本において、戦争と人権の出発点だった歌でもあります。

この合唱の歌詞は、自然との共存、虫にさえも命があるという崇高な音楽世界を生み出した、世界の平和を願う内容です。

歌詞の内容は、オーケストラ相応しい、壮大な感じです。日本語の作詞のものと、イメージが全く違います。ベートーベンが生きて来た道の集大成とも言える、内容になっています。
苦難を乗り越えながらも、生きたベートーベンだから創れる曲でした。

もっと喜び、人間らしく声を出しなさい。
火のように熱く、時に酔いしれて、進むべき道を怖れず歩もう
兄弟よ、抱き合おう
父なる神が住んでいるこの地上に創造主から生を受け、共に息をする者として、声を出そう。我が身の中に住みたもう神に喜びの声を出そうじゃないか。

私的にまとめると、こんな感じだと思います。

一人の優れた表現者ベートーベンが、積み重ねられた苦悩と悲しみを乗り越え、希望を持って、平和や愛を目指した心は、今も世界中に引き継がれているのですね。

ベートーベンが生涯に作曲し、発表した作品の数は138曲にものぼります。本当に耳が聞こえないのに、よくできますよね…。
この音楽への情熱は、幼い頃に父から生活のためにから受けた教育と優しい母、マリアの励ましがあってこそなのでしょう。

皮肉にも、母の愛情を深く心に響かせたのは、父親の厳しい熱のこもった教えなのかもしれないです。
そして、ベートーベンが実らない恋を既婚者相手に多くしたのは、永遠の女性とも言える、優しく安らげるような母を求めてが故のことかもしれません。

話しは変わりますがイブの今日、24日の19:00からMステーションあるので、実は楽しみです。
この中で、浜崎あゆみが[M]を歌うそうです。[M]って歌詞に出て来る「マリア」の[M]ですよね。ベートーベンのお母さんも「マリア」だから、なんか私的にタイムリー。

浜崎あゆみも、左耳の聴力が失われてるとありますけど…ね。それを感じさせない歌唱力だといつも感心します。
西洋医学的には、治らなくても、東洋医学的にはどうなんだろうと思うのですけどね。

何の治療でも、奇跡ってあることだから、耳へのアプローチは聞こえる右耳と同じくらいにしてあげたらいいんじゃないかな~?と思ったり。

でも、東洋医学的な治療って時間と根気がいるんだよね。

浜崎あゆみってそれよりも「常に動いてたい」そうな感じだからなぁ~。

ちゃんと休養取りましょうっ!て誰か言ってあげて下さい。

Mステ、スーパーフライのしほちゃんも出るし、今日はテレビに張り付いておきたい気分だけど、何時頃だろう…。仕事で見逃したらどうしよう。やっぱり録画しておきます。

今日も長文になりました。

お付き合いありがとうございます。

 

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