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2010年12月

ありがとうございます。

今日は大晦日ですね。朝から出かけなくていけなくて、忙しいです。

今年、一年、このブログにご訪問していただいた皆さん、どうもありがとうございました。

お世話になりました。

ちょっと、年内、まだ書きたいことがあるのですが、時間がなくて申し訳ない感じで、

今年はここまでにしたいと思います。

また、ご訪問をお待ちしています。

よいお年をお迎えください。

まひろ

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RIZE-ピンク スパイダー

RIZEのカバーが私的に好きかな。。。HIDEさん

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radiocrazy

HOTEI and The WANDERERS FUNKY PUNKY TOUR 2007-2008

V0.Gt.布袋寅泰 Dr.中村達也 Gt.TAKUYA Ba.Ju-ken Key.森岡賢 Per.STEVE ETO

29日と30日、インテックス大阪でFM802主催のradiocrazyがあります。

今日は布袋寅泰さんに奥田民生、斉藤和義、Cocco、世界の終わり、中村達也さんもEORで出演、スーパーフライのしほちゃんとももさんもゲスト出演します。

明日はエレカシ、チャットモンチー、高橋優、the HIATUS、真心ブラザーズ、MO' SOME TONEBENDER と豪華なライブです。

レモンバッツが再結成だわ^^盛り上がりそう♪

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Mr.Children 花の匂い

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Ray Charles - Ellie My Love

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ベートーベン・・・つづき

ベートーベンの祖父は宮廷歌手の他に副業として酒屋も営んでいました。しかし、これが家族にとって暗い影を落とすことになります。

最初に祖母がアルコール中毒になり、修道院に隔離され、そして父のヨハンも宮廷に仕える歌手でありながら酒におぼれた生活をすることになりました。

3人の息子の中から才能を見出されて4歳から父にピアノを教えられ6歳でケルンで演奏会を開くのですが、当時のモ―ッアルトのように少年音楽家として売り出したかった為に、実際は8歳だったところ年齢を2歳もサバを読んでいました。父は、モーツァルトのように宮廷や貴族にベートーベンを引き合わせてパトロンになってもらおうとしていました。「息子を働かせなければ負けだと思っている」そんな父親の思いを子供ながらに必死に堪えてレッスンを受けた日々だったでしょう。幼い頃から音楽の喜びや楽しみを知っていたベートーベンであっても、子供ですから遊びたい年頃です。父ヨハンから毎日、レッスンを強要される「家族を扶養できるだけの音楽家」としての大成は、重圧だったことだと思います。

母、マリア・マグダレーナは17歳で結婚した相手とほどなく死別し未亡人となり21歳のとき再婚したのがベートーヴェンの父となる27歳のヨハンでした。ヨハンとの間に5男2女を産み、うち4人を亡くし、体が弱いながらも貧しさに耐え、わがままな夫や厳格な舅、修道院に収容されていた姑にもよく尽くしていたそうです。

マリアは、身分も教養もある女性ではありませんでしたが、物静かなで、家庭が不幸だった分、深い愛情を3人の息子たちに注ぐ優しさにあふれた母親で、ベートーヴェンにとっては永遠の女性ともいうべき存在でした。

母マリアはベートーベンが大成しなくてもいいから自分の行きたい道を進むことを選ばせるための愛情あふれた教育を行ってました。

3人の息子をとても可愛がり、面倒見のよい母親だったそうです。演奏旅行に船で出かけたおり、寒かったのでスカートで彼の足をくるんで暖めた、というエピソードが残っています。

父、ヨハンと母との相反する教育姿勢がベートーベンの人格に多大な影響を与えていったのは間違いないようです。

ベートーベンは、「野獣」と呼ばれるほどの癇癪(かんしゃく)を持った激情家であったらしく、何かあれば手近なものを投げる習性があり、それは、手のつけられないもので、人間関係でも苦労していたようです。師匠のハイドンとも喧嘩別れしたという話があるほど、その癇癪は強く、ベートーベンからレッスンを受けていた弟子には、楽譜を破かれたり肩に噛み付かれたりした者もいるそうです。でも、耳が不自由になると、多少はそうなっても仕方がないのかもしれないです。

また、手を洗うことに執着していたり、コーヒー好きのベートーベンは豆をきちんと60粒数えて煎れていると言う、几帳面な面もありました。この時代の音楽家はただの野獣では務まらないほどの社交性や知識を要求される職業だったそうです。

ベートーベンは、自分の置かれた家庭環境から「家族を不幸にしないためにも結婚には慎重になるべき」という考えを抱いていてたのかもしれません。その傾向はベートーベンの恋愛にも表れます。少年のころから、自然と品位の高い女性に惹かれる傾向がありました。「伯爵夫人」や「男爵夫人」などの称号がついている相手が多かったのです。すぐ手に入るような女性には興味がなく、婚約者がいる、夫がいるなど、結ばれる望みの薄い恋ほど熱くなるようなところがありました。ですから大概の恋は破綻することが多かったのですが、意外とプレイボーイだったベートーベンは、多くの女性とのロマンスを経験していて、婚約もしますが解消し、生涯、結婚することはありませんでした。

28歳の時に耳が聞こえにくくなりますが、恋人であるジュリエッタがいたこともあり、音楽を続けていました。しかし、ジュリエッタの父はベートーベンが貴族ではなかったので結婚を許さず、ジュリエッタは他の男性と結婚してしまい、そして、両耳が全く聞こえなくなり、ベートーベンは人生で最大の試練を味わうことになります。

ジュリエッタとの恋に破れた時は、特に耳のことも有り、生涯これほどにないくらい、辛くて自殺も考えたんでしょうね。

音楽家でありながら、耳が聞こえないという致命的な現実と向き合うことが、どんなにつらかったか。人との会話はもちろん、音楽家を職業としていたにもかかわらず、自分が作った曲がどんな音楽となって聞こえるのか、それを聞くことも確かめることもできない。

音の聞こえない孤独な自分とも、いつも対面し、今まで、音楽一筋で生きて来て、他に自分がしたいこともない。そして、愛していた恋人との別れ。ベートーベンにとって絶望的と言ってもおかしくない。

しかも、結婚の反対の理由が貴族じゃないから。ベートーベンの性格的な様子からすると、コンプレックスも強かったように思ったり。貴族じゃないことの屈辱感や疎外感、聴力がないことからより、コンプレックスを更に持つようになったかも…時代背景があって、わかっていてもやっぱり感情はそう簡単に納得できないだろうし、若いから悩んだだろうなぁ。
特に音楽家って、心のヒダが繊細そうでもあり、受け止め方も心に深く深く、響いたのでしょう。ベートーベンがこの時に残した有名な遺書で「ハイリゲンシュタットの遺書」がありますが、その遺書を書いたことにより、精神的にこの自分に起きた現実と折り合いを付けています。

遺書を書いて自分の思いをぶちまけて、そして自分がこれからどうして行けばよいか、どう生きていきたいのか思い直したようです。

幼い頃から、父の厳しいレッスンを受けて、時には強要され嫌々ながらしていたピアノも実は一番好きなことで、音楽を愛して、音楽のために生きて行こうと心に決めたのじゃないかと思ったり。。。
耳が聞こえないのに、作る音楽って、自分が昔、聞いていた記憶と音感を頼りに、頭の中で一つ一つの音を何度も思い出しながら、楽譜に書き込み作り上げて行く、ベートーベンの頭の中と想像のメロディと現実のメロディが奏でる、何かがあったのじゃないかと思います。

きっと聴力を失ったベートーベンは、人や世相が必要とする音楽を掴み取る部分が長けて行ったんじゃないでしょうか。他の人には聞こえない音を何処かで受け取って、創作していたのかも…。自分が聞こえないのに、曲を作り続けたのは人に聞いてほしいから、人が聞いている姿を見て、喜んだり、泣いたり、感動したり、を見てどのような曲なのか肌で感じ知ることができて、耳の聞こえない孤独な自分が解放される時でもあったのじゃないかと…。
自分の記憶の中の音階でイメージして曲を作るってスゴイ。あんなメロディよく作れるよなぁ。天才だと思います。

気持ちに整理をつけても一難去って、また一難。ベートーベンは次々にたくさんの曲を発表しますが、耳が聞こえないために、大変な苦労の連続でした。曲が演奏されることになり、指揮をすると、耳が聞こえないためにオーケストラの人達とうまく行かず「そうじゃない!」と怒鳴り、オーケストラの人もやる気をなくしてしまい、ついに練習をほとんどしないで本番の日を迎え、うまくいかず、お客さんが騒ぎ出したりしました。

また、弟が亡くなり、その子供カールを実子として引き取ったのですが、ある時、ベートーベンがカールにピアノの練習をするようにと叱ったところ,カールは家を飛び出し,自殺未遂をしようとしました。その子の母親と裁判を起こしたり、ベートーベンは心の安まる時がなかったということです。カールを自分と同じように音楽家に育てるために、費用もたくさん使い、演奏会の失敗や裁判、生活も大変になっていきました。

次々にその身に降りかかる苦難。それを乗り越えて、ベートーベンは希望と喜びにあふれた曲を創り出します。「交響曲第5番 運命」「交響曲第6番 田園」「交響曲第9番」といった大作、「エリーゼのために」などの名作を作り続けたというのは、ケタ外れの創作意欲であり才能でした。

ベートーベンは癇癪もちとありますがそれと同じくらい、情熱のある心優しい人物でした。ベートーベンの創作意欲の元は、数多くして来た恋愛のお陰でもありそうです。「月光」も「エリーゼのために」も恋人に捧げるために書かれた曲でした。また、愛を語るためにピアノを恋人の前で即興で弾いたこともあったそうです。

あるとき、男爵夫人が末の子どもを亡くして悲嘆にくれていたとき、ベートーべンは夫人を自宅に招待し、「さあ、いっしょに音楽で話をしましょう。」とピアノの前に腰掛け一時間あまりもピアノを弾き続けたということです。ベートーべンの即興演奏は聴く者の心を奪ってしまうほど素晴らしかったそうですが、愛を込めた即興演奏は、特に情熱的でロマンティックなものだったようです。

年末に「第九」がよく歌われますが、ベートーべンは病の中、何としても第10番目の交響曲を完成させたかったのですが、かなわず56歳でこの世を去りました。

ベートーベンが生きた時代は、戦争がたくさんあった時代でした。「第九」が日本で初めて演じられたのは、徳島県の鳴門・板東ドイツ人俘虜(ふりょ)収容所でした。また、終戦後、今や帰らぬ人となった学友のために、鎮魂歌として彼らに捧げられたこともあり、「第九」は、日本において、戦争と人権の出発点だった歌でもあります。

この合唱の歌詞は、自然との共存、虫にさえも命があるという崇高な音楽世界を生み出した、世界の平和を願う内容です。

歌詞の内容は、オーケストラ相応しい、壮大な感じです。日本語の作詞のものと、イメージが全く違います。ベートーベンが生きて来た道の集大成とも言える、内容になっています。
苦難を乗り越えながらも、生きたベートーベンだから創れる曲でした。

もっと喜び、人間らしく声を出しなさい。
火のように熱く、時に酔いしれて、進むべき道を怖れず歩もう
兄弟よ、抱き合おう
父なる神が住んでいるこの地上に創造主から生を受け、共に息をする者として、声を出そう。我が身の中に住みたもう神に喜びの声を出そうじゃないか。

私的にまとめると、こんな感じだと思います。

一人の優れた表現者ベートーベンが、積み重ねられた苦悩と悲しみを乗り越え、希望を持って、平和や愛を目指した心は、今も世界中に引き継がれているのですね。

ベートーベンが生涯に作曲し、発表した作品の数は138曲にものぼります。本当に耳が聞こえないのに、よくできますよね…。
この音楽への情熱は、幼い頃に父から生活のためにから受けた教育と優しい母、マリアの励ましがあってこそなのでしょう。

皮肉にも、母の愛情を深く心に響かせたのは、父親の厳しい熱のこもった教えなのかもしれないです。
そして、ベートーベンが実らない恋を既婚者相手に多くしたのは、永遠の女性とも言える、優しく安らげるような母を求めてが故のことかもしれません。

話しは変わりますがイブの今日、24日の19:00からMステーションあるので、実は楽しみです。
この中で、浜崎あゆみが[M]を歌うそうです。[M]って歌詞に出て来る「マリア」の[M]ですよね。ベートーベンのお母さんも「マリア」だから、なんか私的にタイムリー。

浜崎あゆみも、左耳の聴力が失われてるとありますけど…ね。それを感じさせない歌唱力だといつも感心します。
西洋医学的には、治らなくても、東洋医学的にはどうなんだろうと思うのですけどね。

何の治療でも、奇跡ってあることだから、耳へのアプローチは聞こえる右耳と同じくらいにしてあげたらいいんじゃないかな~?と思ったり。

でも、東洋医学的な治療って時間と根気がいるんだよね。

浜崎あゆみってそれよりも「常に動いてたい」そうな感じだからなぁ~。

ちゃんと休養取りましょうっ!て誰か言ってあげて下さい。

Mステ、スーパーフライのしほちゃんも出るし、今日はテレビに張り付いておきたい気分だけど、何時頃だろう…。仕事で見逃したらどうしよう。やっぱり録画しておきます。

今日も長文になりました。

お付き合いありがとうございます。

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アジアントリニテ~運命~

ベートーベンの運命が発表されて今年で200年経ちます。

その運命をアジトリが現代版にアレンジした曲です。

★デビューアルバム★

『asianTrinity ~200年後の運命~』 CJC-3010 ¥2.730 好評発売中

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ベートーベン

年末になると、各地の合唱団によりベートーべンの9番目にして最後の交響曲であるベートーベンの「第九」が歌われますね。テレビでもよく聞くようになりました。

日本で年末に第九が頻繁に演奏されるようになった背景には、戦後まもない1940年代後半、オーケストラの収入が少なくて、楽団員の年末年始の生活に困る現状を改善したいと、合唱団も含めて演奏に参加するメンバーが多く、当時(クラシックの演奏の中では)「必ず(客が)入る曲目」であった第九を日本交響楽団(現在のNHK交響楽団)が年末に演奏するようになり、それを定例としたことが発端とされています。第4楽章の主題は『歓喜の歌』としても親しまれ、歌詞にはドイツの詩人、思想家、ゲーテと並ぶドイツ古典主義の代表者であるフリードリヒ・フォン・シラーの詩『歓喜に寄す』が用いられています。

ベートーべンは音楽史上極めて偉大な作曲家の一人とされ、その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされています。ベートーベンは1770年12月17日ごろ父ヨハン、母マリア・マグダレーナの長男として生まれました。

ベートーベン家はオランダのフランドル地方の出身で、ドイツのボンに移り定住しました。ベートーべンの祖父はボンのケルン選帝侯宮廷の歌手であり、一家は祖父の支援により生計を立てていました。

ベートーヴェンの父も宮廷歌手でしたが、無類の酒好きであったため収入は少なく、祖父が亡くなると生活は困窮していき、ベートーベンは父からその才能を当てにされ、苛烈を極める音楽の教育を受けました。父はベートーベンをモーツァルトのような少年音楽家にして名声を得て、収入を得ようとベートーベンに熱心にレッスンしました。

1778年にケルンでの演奏会に7歳で出演し、16歳のときにウィーンに旅し、かねてから憧れを抱いていたモーツァルトに弟子入りを申し入れ、その才能を認められ弟子入りを許されますが、最愛の母マリアの病状悪化の報を受けボンに戻ることとなります。

母、マリアはまもなく死亡し、母の死後は、アルコール依存症となり失職した父に代わり仕事を掛け持ちして家計を支え、父や幼い兄弟たちの世話に追われる苦悩の日々を過ごしました。

ベートーベンはこの時代の音楽家には珍しく貴族などのパトロン(後援者)を持っていないことが知られています。父は、モーツァルトのように宮廷や貴族をパトロンにすれば一生安泰であると考えていたのですが、ベートーベンは頑なに貴族のパトロンを持つことも、宮廷音楽家になることもしませんでした。

これは父への反発だけでなく、貴族のパトロンを持つことが既に時代遅れになりつつあることを悟っていたからではないかと考えられます。現に、ベートーベンの師匠であったハイドンは、パトロン一家の代替わりで解雇され、年金生活を送ることになっていました。

この時代は自由業より宮仕えのほうが不安定だったらしく、それに、この時代は政情が不安定だったのでいつ引っくり返るかわからない貴族などを相手にするより、音楽や文化に目覚めていた民衆を相手にしたほうが確実だったと考えたようです。

1792年ベートーベン22歳の時に、ハイドンに才能を認められ弟子入り、11月、ウィーンに移住、まもなく父ヨハンを病気で失うことになり、弱冠22歳で弟二人を抱えて音楽の都ウィーンで新しい音楽家人生を歩み始めることになります。

ハイドンに師事してから、本格的な作曲技術を学ぶことになり、1794年、ベートーベンは処女作となる「ピアノ三重奏曲」を発表し少年演奏家を脱却し音楽家としての道を歩み始めました。

20歳代後半ごろより持病の難聴(原因については諸説あり)が徐々に悪化、1798年ベートーベンが28歳の時に自分の耳が聞こえづらくなってきていることに気がつきます。

現在、ベートーベンの難聴の原因は「耳小骨のリウマチ」とも言われる「耳硬化症」であったのではないか?とも言われています。中耳を囲む骨が骨化を始めアブミ骨の底が骨化して固着する病気で、両方の耳の進行性難聴と耳鳴りを訴えます。

難聴には伝音性難聴と感音性難聴の二種類があるのですが、耳硬化症が進行すると伝音性難聴から感音性難聴になると言う性質があり、「音が聞きとりにくい」が「音が聞こえない、音が出たのがわからない」になっていくのだそうです。

この症状は、音楽家にとっては致命的なダメージであったと言え、難聴を自覚してからのベートーベンの症状は日に日に進行し、30歳になることにはもうほとんど聞こえなくなっていたようです。耳硬化症の原因ははっきりとわかっていませんが、他に難聴になった理由には、いくつかの仮説が存在しています。

一つは、スパルタ教育の中で、耳を殴打されたのが原因となったと言う説。

第二の説に、15世紀ごろからヨーロッパで猛威を振るった病気で、ベートーベンは母子感染する先天性の梅毒だったのではないかという説。

第三の説が最も有望で、当時のヨーロッパは酢酸鉛(さくさんなまり)を甘味料として食品添加物に使っていたと言われており、難聴や神経系への影響があるだけでなくベートーベンが悩まされていた腹痛や下痢を伴うため鉛中毒は有力な説とされています。

ベートーベンと交流のあった指揮者が形見分けにもらった遺髪があり、巡り巡って1995年オークションにかけられ落札され、科学的な分析が行われました。

この分析の結果、ベートーベンは慢性的な鉛中毒であったことがわかりました。生前のベートーベンは腹痛と下痢に悩まされ、癇癪と同時に憂鬱を抱えていたことがわかっています。これらの症状と難聴は、鉛中毒の症状に符合するものと言われ、ベートーベンの生きていた時代は、砂糖は高級品であったため化学的に合成した甘味料で甘みをつけていました。

この甘味料に使われていたのが鉛で、葡萄の果汁を鉛製の鍋で煮ると甘みの強いシロップになるのですが、このシロップには葡萄果汁の成分と鉛の化合物である酢酸鉛が含まれていました。ベートーベンは、このシロップが使われている食品を好んで食べていたことがわかっており、必然的に慢性的な腹痛を抱え難聴に悩まされていたようです。

現代にもしベートベンがいたなら、検査して、耳硬化症だとしたら手術を行うと、手術の成功率は96~88%程度と高いそうなので、苦悩することもなく音楽家を続けていけただろうなぁ~と思います。

現代、耳の病気でよく聞くのは「突発性難聴」で全国受療者数は年間35,000人(人口100万人対で275.0人)となっています。突発性難聴も原因不明ですが、調べると難聴には、健康面で肝臓と腎臓に気をつけることが大切みたいです。

肝臓には体内の古くなったコレステロールや赤血球を分解し、胆汁を作り、その胆汁を十二指腸に流し、脂肪の吸収を助けたり、肝臓に蓄積された老廃物を体外へ排泄する働きを持っています。

食物から様々な栄養素を肝臓から吸収しようとする時、一緒に食品添加物やバイ菌などの有害物質が一緒に吸収されてしまいますが、その有害物質をしっかり分解し、体に悪影響を及ぼさないようにする為に無毒化してくれる働きを肝臓は持っています。
この機能が正常に働かないと、血管に老廃物が蓄積していき、負担になっていくらしいです。

「沈黙の臓器」と呼ばれる肝臓は、とても我慢強く黙々と仕事をこなし、また再生能力も高く、タフな面も持ち合わせていますが、「肝に銘ず」「肝を冷やす」など、「肝」を使ったことわざや慣用句には心の動きや性格を表すものが多数あるように、昔から肝臓は精神や感情を司り、人間の度胸や根気・意志などに深く関わる臓器とされています。肝臓と関係の深い感情は「怒り」で、怒りによって肝臓がダメージを受けると、イライラしたり精神的に不安定になり、肝の持つ様々な動き(解毒・代謝)が阻害されて身体のあちこちに不調が出るといわれています。

そして腎臓の作用は、肝臓で作られた尿素を体外に排出することです。尿素や尿酸などの老廃物や有害物質、過剰の水分・電解質の排出や酸、アルカリを排出することで体内のpHの調節を行い、塩分と水分の排出量をコントロールすることによって血圧を調整していて、血圧が高いとき、塩分と水分の排出量を増加させて血圧を下げます。血圧が低いときは、塩分と水分の排出量を減少させることで血圧を上げます。腎臓は血圧を維持するホルモンを分泌し、血圧が低いときに血圧を上げます。

また、血液(赤血球)は骨髄の中にある細胞が、腎臓から出るホルモン(エリスロポエチン)の刺激を受けてつくられ、腎臓の働きが悪くなるとこのホルモンが出てこなくなってしまうため、血液が十分につくられず貧血になります。このため、腎臓は血液をつくる司令官とも言われています。

肝臓で解毒したものを腎臓で尿として排泄する。この関連した作業が体の中でスムーズに行われることが大事なようですが、突発性難聴などを起こされた方はストレスから、血液の循環が悪くて、体温が低くなりやすいようです。このためこの臓器と器官への負担があり、解毒作用が十分でなかったのかもしれません。

体温を下げる、冷えは体質的なものも原因の一つなのですが、ストレスの多い生活が冷えを感じやすくしているケースもあります。

ストレスが多い生活を送っていると、自律神経のバランスは崩れやすくなり、すると、外部の変化に対応する働きが鈍り、精神的ストレスだけでなく、寒さという環境的ストレスもそのまま受け止めてしまうといわれています。

また、ストレスは、体温の調節機能を司る自律神経(交感神経と副交感神経)の働きに影響を与えます。交感神経は日中の活発な動作の源になる神経です。交感神経は精神的に緊張した状態を高める働きもするので、ストレスにより交感神経が緊張し、血管が収縮して血流が悪くなり、交感感神経優位の状態になってしまい、低体温(36.0℃以下)になりやすくなってしまいます

副交感神経は交感神経と正反対の働きをし、体を休めるときに適した状態を作ります。副交感神経が働きやすいように、日頃から腹式呼吸を心がけ、しっかりと息を吐ききると副交感神経が優位になり、リラックスすることができるそうです。

また、偏食により肝臓にも影響を与えそうなので、甘味や辛味の強い極端なものや、ひとつの食品を拘って食べるというのも良くなさそうです。

そして、最近テレビでもやっていましたけど、歯の噛み合わせにより突発性難聴が改善し聴力が戻ることもあるそうです。原因不明といわれるめまいや、突発性難聴、頭痛や腰痛などの不定愁訴は、顎関節症を治療することで改善された例が多く、ストレスによって就寝時、歯を食いしばったり歯ぎしりをすることで、顎(あご)の関節の位置がずれ、顎関節症を引き起こすといわれています。

そのために顎の機能に合わせた調節が必要で、この咬合器を使って最適なマウスピースを作ることで、正常な噛み合わせに戻して行くといいらしいですが、やっぱりストレスが鍵なような気がします。

このお話はつづきます。

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エリーゼのために・・・松本あすか

松本あすかは、輝かしい経歴を誇る。3歳からピアノの英才教育を受け、6歳でピティナ・ピアノコンペティション・ヤング部門(全日本ピアノ指導者協会主催)で全国優勝。

7歳で伊モーツァルト国際コンクール3位入賞。17歳でピティナ・ピアノコンペティション・コンチェルト部門全国優勝。  

幼少期から、海外の演奏旅行にもよく出かけた。食事と勉強以外、ピアノ漬けの日々。華々しい経歴の裏には、ごく狭い範囲の「近所づきあい」と、学友からかけ離れた過酷な練習の毎日があった。  ピアノで評価を受けても、通学する普通中学・高校の友人の話題についていけない。

はたして、これは自分で選んだ道だったのか。もっとほかの生き方はなかったのか。  

高3の冬、家出した。それまでの「恵まれた環境」への反逆。幼少期からのお仕着せへの謀反。もうピアノなんてやめてやると内心叫んで、自分探しのため出奔した。

「自由」と「遠距離交際」の日々が始まる クラシックピアノはやめる、音大にも行かないと決めて、2週間後、家に戻った。次の行き先に選んだのは、ジャズ、ポップスなど広い音楽ジャンルを学ぶことのできる渋谷の大手専門学校だった。クラシックと違い、音符がほとんどないジャズやポップスの演奏様式。そこは真逆の世界だった。  

苦労は多かったが、「自由」と新たな「遠距離交際」の日々は、未知の音楽仲間のコミュニティーへと幅広くつながっていった。  パンクロック、J-ポップ、ジャズ。

多くのバンド仲間とその友人、そして、そのまた知人グループといった具合に、交流の輪が急速に広がる。彼らとセッションし、路上ライブもやった。誘われて、作詞、作曲、編曲、スタジオ録音、ライブ出演、また、モデルの仕事も始めた。

やがて、腕前を買われて、マイナーレーベルからCDデビューも果たした。

                    ~JB-PRESS~引用つづきはこちらから・・・

画像、悪いですけどもっと美人さんです。

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訂正

昨日の記事で「ももさん」こと、百々和宏さんの腰椎骨折は、「昨年」と書いてしまいましたが、今年の12月9日でした。すいません。

今、治療中ということです。お大事にされてくださいね。(;ω;)

ブラックサンダーの動画なんてありました。30円だけど、人気があるみたいですよ。

そして、楽天だけで発売している「白いブラックサンダー」というものもあるそうです。

ホワイトサンダーじゃないところが面白いですよね。こちらは50円だそうです。

大好評につき、品切中。次回の予約受付は20日 正午より再開するそうです。

でも、こんなにいっぱいあっても困る。 ときどき、食べたいだけだから~。

楽天だけと言わずにコンビニで売ってほしいなぁ。

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Superfly名古屋ライブ

この間はMステとFNS歌謡祭を観て、久しぶりにSuperflyのしほちゃんの歌声を聞けました。あっでも、その前に先月ライブにも行ったのでした。

雑誌のSWITH創刊、25周年を記念したライブでThe Lemon Batsと一緒のスペシャルなライブでした。お題が[Rock'N'Roll Muncher]といい、曲はロックな?ものばかりでしほちゃん、いつもより何だかパワフルな歌声でしたよ。

洋楽のカバーとSuperflyのオリジナルを混ぜ混ぜして、若い年代だけでなくカバー曲をよく知ってる、中年の方も乗れる選曲だったように思います。
しほちゃんの声はよく通って、151センチの体からどうやって出すんだろぉ?と思うくらいで、後ろの方にいたけど声はもちろん、存在感ありありだから、顔見えないけど見えるみたいな感じでした。
花柄のツナギって、小柄な女性が着ると小さく見えると思うんだけど、よく似合ってたなぁ(^o^)
このライブの為に用意したのかと思うくらい、ロックだから「いくぜ~っ」て感じの衣装。
The Lemon Batsとのバンドは、3回だけだそうだけど、たくさん練習したってMCで言ってました。
ライブは知らないカバーもあったけど、2曲目はマイケルジャクソンの「今夜もビートイット」だったり、WILSON PICKETT の「ダンス天国」があって、周りもライブが進んで行くと乗りが良くなって、何だかみんな楽しくて~、盛り上がったしよかったです。

初めてのライブハウスの体験は、スタンデイングだから、色々と下調べの段階で気をつけようと思っていましたがSuperflyのファンはオトナシイらしく、大阪はなかったけど、モッシュダイブとか、ライブハウスではタマにあるみたいで~、ちょっと警戒してました(^^;

私自身は嫌なことなく、熱くて楽しい夜を過ごしたのですけど、私と友達の知らないところでは色々とあったみたいです。

このライブには、ゲストでthe HIATUSというバンドが、Superflyの前に出演していました。ごめんなさいだけど、私はthe HIATUSという名前もしりませんでした。ファンの2~3割はthe HIATUS目当てで、7~8割はSuperflyのファンがライブを占めてたっぽかったです。

ライブハウスって、未知の世界ですね。お客さんとお客さんとの密着度がもの凄く高いから、とっても近くでアーティストを感じることができるんだけど、それに慣れてる人や平気な人もいれば、苦手な人もいそうです。そんで、それなりのマナーもあるよでthe HIATUSのファンの子曰く、スタンディングの前の方に陣取って、ヒールで参戦はマナー違反(暗黙の了解)らしいなんて知らなかった。確かに(^^;足、間違って踏んだら痛いですよね。だけど「Superflyのファンは履いてたよ~」とか。しほちゃんと言えば60〜70年代のサイケデリックやヒッピーカルチャーのスタイルに影響を受けたファッションが特徴で、若い年代のファッションに影響を与えてるだろから、ヒールの人もいたんだろうね。

このライブの対の相手がファン層が全く違う、the HIATUSと組んでるのが結構「謎」であると、ググったら出てきました。

こういったゲスト迎えて行う対バンドのライブでは、先に出演してくれたバンドに一言、何か敬意を表して挨拶代わりに言うのが礼儀だったらしく、the HIATUSファンの子のブログやSuperflyのファンでもライブによく言っている人のブログを読むと「ひとことも言わなかったね~」とか「他と組んだ時は、あったのにね…」など、言ってました(^^;。

辛口のコメントでは「正直、越智しほだけが異質だ。The Lemon BatsとEOR(ENTITY OF RUDE )とHIATUSならおかしい組み合わせじゃない」とか・・・

うむむ~、ライブハウス経験ないからわかんなかったけど、そうなのね。
しかし、Superflyファンのブログを読むと、the HIATUSのことを「失礼なバンド」と言ってました。そう言えば、途中のMCで『Superflyさんがどういう方なのかよく知らないけど、大阪来られてライブできて嬉しい』って言ってたけ。「よく知らない」どうも、この部分が問題だったのか?(゚ー゚;、私は、そのMCの時は「えっ~」と思いつつ冗談だと思ってたけど、先に、笑いのネタ?にされたと思っても仕方ないかも。だから、何となく…雰囲気が…?な感じになって行ったぉ?。

が、名古屋はもっとすごかったらしくHIATUSが出てくる前からファンが場所取りをして「すいません」×3と言いながら強引に前に来て、手足を使い、強引に無言で押し合いする子、ダイブで眼鏡が取れて大変だった人、蹴飛ばされて目を負傷してリタイアした人とかもいたそうです。

HIATUSのヴォーカル細美さんのMC「こんばんはHIATUSです。Superflyさんのおかげで年内最後の名古屋ライブができました。今日はSuperflyさんを観に来てるお客さんが多いと思うんだけど、俺達のファン元気だからー!ごめんね!Superflyさんのファンは怪我しないようにね!だからと言っておとなしくやるつもりも譲るつもりもないので!よろしくおねがいします。」だったようで、対立激化したみたいo(゚Д゚)

そして途中MCで・・・「なんか対立煽るようなこといってごめんね!
えー、ことしは名古屋にたくさんくることが出来て嬉しいです。あ、なんか急に媚びてるみたい!(笑)けど、そうじゃないよ」と言ってたらしいです。

恐らく、モッシュのすごさにSuperflyの中年層のファンはなんか叫んでたらしく、あるカップルの彼女は「これHPで謝罪してくれてもいいよね?お金払って苦痛な思いするとかマジ最悪」と言ってたり、彼は肘突っ張ってスペース確保したり、修羅場に……(ノ゚ο゚)ノミ(ノ _ _)ノ

こういったライブでは、よくあることで、ごちゃごちゃ言っても始まらないのかもしれなくて、突っ走って行けばいいのだろうけど、気になる。書いたところで、しほちゃんや細美さんが読むとは限らないから~ザクッと書いちゃうもん。

芸能界や音楽業界の裏側とかしきたり?本当に業界のこと知らないのに、生意気なんだけどやっぱり[挨拶]は大事だと思います。ね。

想像で、この業界は年齢じゃなくてキャリアを重んじるんじゃなかろうか?芸能界もたくさんあるから、畑が違うのかもしれないよくわかんないけど、ライブハウス中心のタタキ上げで来た業界とテレビとかメジャー中心の業界とまた一味、違うようなー。
しほちゃんは類い稀な才能とセンスを持っていて、メジャーになるまでの道筋は、ラッキーでチャンスを掴んで来た方かと思ったり…(見えないだけで、違う意味で苦労はしているのかもしれないけど)私の知ってる限りでは、06年に上京して東京のライブハウスでの活動が関係者の目に留まって07年にデビューと、恵まれてるように思います。

今は歌姫と言われる大物歌手の少女時代は、テレビ番組やモデルなど、できる仕事をこなしていた時代があるわけで、きっとしたくない仕事があった中で有名になる、歌手になるチャンスをその時に積極的に探していたんだと思う。しほちゃんのライブ活動も大変だったかもしれないけど、高校を行かずにこれでやって行くんだとの覚悟がちがってたこともあって、その業界でのしきたり?的なことを肌で受け取ってそつなくやってるように思うのです。

どっちがメインのライブとか関係なく、同じステージに立つ演じ手なのですもの。最初の細美さんの「知らない」がカチンと来たのかもしれないけど(^^;あー言って、気になるクラスの女の子にちょっかいかけて冷やかす男子って、小学生の時いましたよね~。多分、そんなノリだったと思いますよ。

それに、正面から受けたら相手したくなくなるので(笑)、場所は大阪だったのだし、「私もハイエイタスさんって聞いたことなくて~何処の国の方かと思いました(笑)」のようなノリで返せたらよかったのだけど、MCって緊張するだろうから、そんな余裕はないのかもね。

だとしたら、楽屋裏で挨拶はできたらよかった。したのかな!?あっちがしてないからしなかったとかあるかもしれないけど・・・。一言あれば細美さんも悪態?ついた(^^;MCにしなかったかも…。
私も偉そうなこと 言えないけど…。贅沢を言うなら、音楽業界歴のまだ浅い、しほちゃんから声を掛けれたらよかったと思うし、また、しほちゃん目当てのお客さんが多いなら余計に、ハイエイタスさんに一言あった方がよかったね。と思う。

しほちゃんのように、才能と天性の歌声があって出す曲がいつもヒットチャートに上がる人だからこそ、影で支えてくれたりいろんな人のお陰でSuperflyがあるし、何か言葉に表しにくいんだけど、私的に天狗にならないようにいつも鼻を小さくしているためにも、その方がいいと感じるのです。目立つと「やっぱりスターだな」ってよくも悪くも思われるから・・・
しほちゃんが決して、お行儀がよくないとか感じが悪いとかじゃなくて、幸運に恵まれて、事務所からも大事にされて、自分のお仕事に集中できやすい環境にあると、わからないこと、気づかないことがあって、それは、時にはしほちゃんにとって不運なことってあるんだと思います。実力と存在が大きくなると、周りは気を遣って「こうした方がいいよ」って言わくなるかもしれないし・・・「裸の王女様化」してしまう可能性もあり得るわけで。。。

神社の参拝にしても、二礼二拍手一礼と言った決まりがあるように、日本人は昔から、礼節、義理、人情を大切にする風習やしきたりがあったりするから、外国から交流も盛んな今の時代は、開けて来て忘れがちになりそうなことも、人から注目を受けたり、目標にされたり、夢を与える仕事をする人は、Superflyに限らず気をつけた方がいいと思います。

実のるほど、頭が垂れる稲穂かな」って、私のお母さん言ってたなぁ。

会場にもその雰囲気が名古屋では、事前に伝わってしまったんじゃないかな?って思ったり。影響力の強い人が出す磁気ってすごそう((・(ェ)・;))モッシュ・ダイブは、Superflyファンからしたら、責められても仕方がないけど、出演者同士がうまくいってたらMCでうまく伝わったりもあったかもしれないし・・・。でも、細美さん、もうちょっと可愛いMCにしてね。アウェイ感が火をつけたのかもしんないけど(゚ー゚;

だけど、終わったあとは仲良く打ち上げに行ったそうなので、私の想像がハードなだけだったかもしれませーん。ごめんね。

今回、Superflyが組んだThe Lemon Batsのメンバーは、知る人からすれば豪華な顔ぶれだったようで、EOR(ENTITY OF RUDEの key. 蔦谷好位置 Ba.日向秀和 Dr. 中村達也と、Gt. 百々和宏 Gt. 八橋義幸、そしてアンコールで特別にEORのタブゾンビが参加してました。しほちゃん、Gt. 百々和宏(通称:ももさん?)とは7曲目で一緒に歌ってたけど、楽しそうだったなぁ。ももさんは、福岡県出身でMO'SOME TONEBENDER(モーサム)って言うバンドの一人で、作詞や作曲もするんだって。昨年、腰椎骨折したそうだけど、大丈夫でしょうか?腰は大事なところだから気をつけないと。

Gt八橋義幸は富山県出身で、BONNIE PINKさん、堂島孝平さんのギタリストでもあり、絢香のサポートメンバーとしてデビュー当初から関わっているギタリストさん。学生時代、「イカ天」の後番組「天下御免ね!」で勝ち抜いて、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ 風のミクスチャー・ロックのバンドを組んでいたそうで、ジョン・フルシアンテばりの、ハードながら内にポップさを秘めた、センス抜群の素晴らしいそう。

タブゾンビは鹿児島県出身で、大学在学中に「山野ビックバンドコンテスト」で最優秀ソリスト賞を授賞しているトランぺターさん。小学校からトランペットを始めてるんだからキャリアがすごーい。アンコールでストーンズの「Bitch」をセッションしてくれたました。

Ba.日向秀和は、愛称は「ひなっち」Nothing's Carved In Stone・ストレイテナーのメンバーの一人で、体をくねらせ、激しくヘッドバンギングしながら、重たいストレートなベースラインからスラップ演法をも駆使する様々なプレイスタイルを持ち、ピック弾きは目を惹くらしい。

ひなっちは、細美さんが元所属していたエルレガーデンのギター生形真一さんと、Nothing's Carved In Stoneを組んでるから、このライブの模様はちょっと苦笑いな雰囲気だったかな?お疲れ様。でも、確か「最近、ブラックマヨネーズの小杉に似てるって言われる」って言って会場を笑わせてくれてました。

Dr. 中村達也も八橋さんと一緒の富山県出身の元ブランキージェットシティのドラマ―。90年8月4日、「イカ天」に出演、1週目に「CAT WAS DEAD」を演奏して、25代目イカ天キングとなり、見事5週連続勝ち抜きを果たして第6代グランドイカ天キングを獲得し、 これがデビューのきっかけとなったそう。迫力のある、ドラムだった。駄菓子に「ブラックサンダー」っていうチョコレートがあるんだけど、そんなイメージ(・∀・)ライブの途中も、何かと面白くしてくれてました。

蔦谷さんは、札幌市出身で2003年解散したバンド「CANNABIS」のメンバーでキーボード・作詞作曲家、アレンジャー、プロデューサーで、才能豊かな感じ。ゆずの岩沢さんとゲームお友達らしい。

とっても、個性豊かなメンバーの中での今回のライブは、本当にいろんなものが、よくも悪くも、生み出された感じに思います。

これで、解散とか言ってたけど、また是非、ライブしてほしいものです。

長文をありがとうございます。

だけど、EORって排他的論理和の略でも使われるのですね。ふむふむ。それとしほちゃんって真光なのですか?そんな噂が飛んでました・・・ふむふむ  おわり。

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好きなクリスマスソング

The little drummer boy

『リトルドラマーボーイ』は、50年代後半のアメリカで大ヒットを記録したクリスマスソング。

賛美歌的な厳かさとテンポの良いマーチ・ドラムが絶妙なバランスで組み合わされた名曲で、『リトルドラマーボーイ』は、キリスト生誕を祝うお金のない貧しい少年が、ドラムを叩いて主にその音色を捧げたというものです。

これに似たストーリーで『ノートルダムのジャグラー(The Juggler of Notre Dame/Le jongleur de Notre Dame)』という12世紀頃からフランスに伝わる古い逸話があり、

そのストーリーには様々なバリエーションが存在しますが、代表的なものは、 パリのノートルダム大聖堂でのお話。

信心深いある修道士が、聖母マリアに何か捧げ物をしたいと考えたが、その貧しさゆえに何も用意することができずにいました。

彼は思い悩んだ挙句、自分が唯一誇れる得意のジャグリング(お手玉のような曲芸)をマリア像の前で披露しました。

でも、彼は他の修道士達に神への冒涜だと非難されてしまいます。

しかし、その時、マリア像に本物の聖母マリアが光臨し、にっこりと微笑んで彼を祝福したという   お話を元になっていると言われています。

「らぱぱんぱん」が何となく口ずさんでしまうので、好きなだけです。(。・w・。 )

おやすみなさい。

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明日は。。。

明日は、気持ち的に寒い日なんだけど、ハイジは明るくて好きです。

終戦記念日はよく知られてるんだけど。。。ジョンレノンが亡くなった日の方が記憶に新しいのかもしれないですね。

今日もご訪問、ありがとうございます。

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ごめーんなさい。

今日はこれでごめーん。

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気分

今日はかくれんぼの気分

だって

お外で子供たちが

やってるから

「もういいよ」って

だから私もお家でかくれんぼ

おにのいない

かくれんぼ

「まだだよ」

目が覚めるまで

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つづきがあったら

お葬いごっこ/金子 みすず

お葬いごっこ、
お葬いごっこ。

堅ちゃん、あんたはお旗持ち、
まあちゃん、あんたはお坊さま、
あたしは きれいな花もって、
ほら、チンチンの、なあも、なも。

そしてみんなで叱られた。
ずいぶん、ずいぶん、、叱られた。

お葬いごっこ、
お葬いごっこ。
それでしまいになっちゃった

続きを読む "つづきがあったら"

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ハイジをなぐさめるクララ

(;ω;)

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名言集

この世に存在する数々の問題は
その問題が発生したときと同じ考え方では解決できない。
                                                                                 アインシュタイン

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夕方の歌

子守歌になりそう。。。眠くなってきたです。 おやすみなさい。(´~`)。゜○

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